エジプト、ヨーロッパでは、
古代からリネンが使われていた。
5000年以上前とされる古代エジプトの墓からリネンに包まれたミイラが発見されたことからリネンの起源はエジプトと思われていますが、実は、アジアの高地やコーカサスが起源で、そこからエジプトやヨーロッパに伝わったと考えられています。
その後、フェニキア人が海上交易を担い、船のセールやテントにもエジプトの質の高いリネンが使用され、ヨーロッパ全体に広がっていきました。ベルギーやオランダでも紀元前5000-3000年前とされるフラックスの種子が発見されています。
また、ヨーロッパ各地でもフラックスの繊維やリネン製造の器具が見つかっており、ベルギーでも紀元前800-600年と思われる最古の糸巻きが見つかっています。ローマ帝国の時代にジュリアス・シーザーがベルギー地域を制圧した紀元前57年頃に記された書物の中には、「ベルギーはフラックスで覆われた土地で、気候や土壌がフラックスに最適であり、人々はリネンの美しい衣服をまとっていた」と書かれています。また、言語学者の間ではBELGIUMという国名はCELTIC(ケルト語)でフラックスを意味する「belc’h」を起源とする説もあります。
レース、テーブルリネン、ダマスク織。
フランドル地方のリネン産業が開花。
その後、数世紀に渡ってフラックスの栽培は発展し、主力産業としてこの地に広がりました。主にイギリスやイタリアに需要があった時代には、フランダース以外にフランス、オランダ、ドイツが主なリネン生産国でした。
フランダース地方ではレースやナプキンが、特にコルトレイクではテーブルリネンが有名だったそうです。その後、中世に入った1350年頃、フランスの100年戦争(1337-1453)で近隣諸国が混乱する中、レイエ川の恩恵を受け、安定的にフラックスの供給ができるコルトレイク地域を中心に、リネン産業がフランダース地方に大きくシフトしました。そして、コルトレイク独特の手法なども取り入れながら、リネン産業の歴史の礎を築いていったのです。
宗教戦争や政治により各国が栄枯盛衰を重ねる中、15世紀から16世紀にかけてリネン産業は継続的に高い生産性を持つフランダースが中心となり、中でもコルトレイクは特に高度な技術と高い品質が要求されるダマスク織で有名になりました。
19世紀には綿の需要が高まったため、リネン産業は縮小されつつありましたが、コルトレイクはレイエ川のおかげで、より透明感のある質の高いリネン繊維素材を供給する町として、イギリスや各国から商人が買い付けに来ました。
レイエ川の恩恵と高度な技術が、
コルトレイクリネンを支えている。
レイエ川は「Golden river」とも呼ばれており、フラックスの繊維を取り出す為に川に浸ける工程「レッティング」に最適でした。川にフラックスの藁を浸けることで繊維周辺のたんぱく質が腐りやすくなり、繊維が黄金色に輝くことからその名がつけられました。その色や質感がブロンドの髪とよく似ているため、ブロンドの髪のことをフランス語で「Cheveux de Lin」(亜麻色の髪)と呼ぶようになりました。
その後、19世紀後半には、安い繊維はロシアから、質の高いものはフランダースから取引されるようになりました。さらに20世紀に入り、世界が軍備拡張に向かう中、強い繊維であるフラックスファイバーの需要は益々高まりました。第2次世界大戦が終わり、化学繊維が台頭し始めたことで、リネン産業は急激に縮小することになりますが、その中でも何世紀にもわたるリネン産業の中心地としてフランダース地方は生き残り、現在に至っています。
こちらの記事は、リネンの歴史家であるベール・デヴェルデさんの承諾を得て、
著書『Flax in Flanders throughout the centuries』(著:Bert Dewilde)の内容を引用して構成しています。『Flax in Flanders throughout the centuries』には、リネンの起源や歴史、フラックスの栽培方法、近年のビジネス事情など、数世紀にわたるフランダース地方を中心としたリネンにまつわる様々なエピソードが詳細に記されています。